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今日から愛知室内オーケストラさんで
ブラームス(1833-1897)のリハーサルが始まりました。
シンフォニーとピアノコンツェルトのどちらも一番、初めて書き上げたコンツェルトとシンフォニー、完成年には20年というあまりに長い隔たりがあります。
シンフォニーに着手を始めたブラームスですが、着想から完成までになんと21年もの月日を費やしました。
これはブラームスが遅筆だからではなく
ベートーヴェンを強く意識しすぎたためであり
このシンフォニーの一楽章を作曲した後には
「シンフォニーの作曲はもうこりごりだ!
あの巨人(ベートーヴェンのこと)が、いつも
背後に行進してやってくる」と嘆いています。
そのため一楽章は運命の動機が何度も繰り返され、苦悩から歓喜へとベートーヴェンのシンフォニー10番とも言われる大作となりました。
第四楽章はブラームスがスイス滞在中に耳にし、
「山の頂から、深き谷から、貴方に幾千もの
挨拶を送ります」と歌詞を添えてクララに書き送ったアルペンホルンの旋律も盛り込まれています。
指揮者の山下さんはブラームスのピッツィカートについて(弦を指ではじく奏法)、弓で弾く(arco)よりも強く弾くのが
ブラームスのピッツィカートだと仰ってました。
ピアノコンツェルト1番は
1854 年から作曲を始め、3年後の25歳のときに
完成されました。
恩師であるシューマンの妻でもあり、ブラームスが密かに想いを寄せていたピアニストのクララ·シューマン(1816-96)との共演のために最初は『2台のためのソナタ』として作曲しました。
ですが、その出来栄えに満足できず、そのため交響曲へと改訂しようともしましたが、頓挫、ピアノコンツェルトに決定以降も何度も書き直してできあがった作品です。
ピアノコンツェルトへと改定しようとしたのは
「失敗に終わっていた交響曲をピアノ協奏曲に転用して演奏」する夢を見たからだとか。
友人であるバイオリニストのヨアヒム(1831-1907)から助言をもらいつつ、初演を迎えました。初演はお客様の心を掴めず、不評に
終わりましたが、作曲して14年後
クララ·シューマンが演奏しだしてから
評判の曲となったそうです。